「いじめ」ということについて 「幼児期」における大切なこと 相変わらず…、というか中学校での「いじめ」がしばしばテレビ・新聞等で取り上げられています。けれども、それらの報道に過剰反応して幼児の世界にも同質の「いじめ」があると錯覚してしまうのは考えものです。はっきり言うと、少なくとも『幼児期』には「いじめ」はありません。 2歳から6歳頃までは、子どもは自分が中心であり、自分の考え方は他者も同じと考える自己中心性を心理面での特徴としてしていますから、相手を思いやってという種類の行道は発現しないのが普通です。このような自己中心的な物事の考え方から脱却し、社会のルールに従うことや他者の気持ちを配慮するというような社会性を獲得していくのは、小学生になってから、つまり7歳から11歳頃までに求められるものです。もちろん、十分に理解することができないからといって、そのままにしてよいということではありません。 本園では、『自分のされたくないことや、言われたくないことをしたり言ったりするのはやめようね。』といったことを様々な場面で語りかけるようにしています。けれども、今の子ども達は、たとえ親が遊んでやらなくても、相手をしてくれる機械(テレビ・パソコン・ゲーム等)があります。 . そして、それらは人とのかかわりよりも、物、機械に熱中する子どもを作ってしまう結果になっています。従って、そのような子どもの中には、人に対するより画面と向き合う方を得意とし、人と付き合うことを苦手にしている子がいたりします。何故なら、機械はあるワクの中でしか反応しませんし、自分に対して攻撃をしてはきません。けれども、人は予期しないことを言い、働きかけてきます。そうすると、機械との付き合いはうまく出来ても、人とはどう付きあったら良いか戸惑い、不安になってしまうからです。また、そのような子どもは、日常的に取っ組み合いのけんかとかほとんどしたことがありませんし、一方する時はゲーム、テレビなどから聞き覚えた「死ね」「殺す」「消えろ」というような言葉を、平気で口にしてしまいます。 しかも、言われた方はどれほど傷つくか考えもせず…。また、子ども達は極めて自己中心的で、相手が自分の思い通りにならないと、それを『いじめられた』と表現することがあります。 このような意味手でも、幼児期においては、多くの人と共にいること、友達とぶつかりあい、遊ぶことの楽しさを経験することが大切なのではないでしょうか。ですから、仮にお子さんが『いじめられた…』と言ってもそれをそのまま社会問題となっている中高生の「いじめ」と短絡的に重ねて考えるような愚に陥ることなく、暖かく見守り育みたいものです。 . |
---|