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保育理念 | 親鸞聖人の生き方に学び、生かされているいのちにめざめ共に育ち合う。 |
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保育方針 | 豊かな宗教的情操教育の中で、心身の調和的発達を図り、幼児が幸せな生活のできるいしずえを築く。 |
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保育信条 | 尊いみ教えを聞いて、仏の子を育てます。 |
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保育理念とは、保育の理想ということで、私達の保育のめざす世界
のことです。親鸞聖人(1173−1263)は、真実を求めて生き抜かれた
方で、その「生き方に学ぶ」ということは、「一度きりの人生」を空しく
終わることのない生き方を明らかにするということです。それは、この
私のいのちが、私の思いに先立って、「賜ったいのち」であり、また、
「生かされて生きているいのち」であるという事実にめざめることから
始まります。したがって、そこでは保育者も子どもも、立場を異にしつ
つも、「共に育ち合う」という世界が、開かれてくることになります。
保育方針とは、理想の世界に到るための方法、道のりです。宗教的
情操とは、端的には「宗教心」のことで、言い換えると「いのちの尊さ
を知る心」のことです。人間だけが、殺すということを知っていて実際
に殺すという行為を行います。そうすると人間性という言葉がありま
すが、それは殺すということにどれほどの痛みを持ちうるか否か、と
いう一点にかかっているといえます。そしてそのことを正当化しない
ということが「人間」であることを証するあり方だといえます。日々の
生活を省みると、直接手を下してはいないにせよ、生きて行くために
は好むと好まざるとに関わらず、私達は「海の 大地の 無数のい
のちを頂いて」今日まで生きて来ています。実は人間は生まれなが
らにして、いのちを平等に見る心を持っています。例えば幼児が虫
や草花と話している様子を目にすることがあります。これは大人にな
ることと引き換えになくしてしまう、美しい心性ですが「教えたから」
ではなく本来持って生まれてきている心なのです。そうすると人間は
幼児期に宗教的情操教育を受けたか受けなかったかということがそ
の後に「人間性を保持し得るか」、「喪失してしまうのか」といったこ
とに、大きな影響を及ぼしてしまうのだといえます。「宗教なき教育
は、小賢しい悪魔を育てる!」とい う警句がありますが、おそらくこ
の言葉はそのような事実を踏まえて発せられたのだと思われます。
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保育信条とは保育者の基本姿勢です。私たちは、いつも自分だけは
正しいという思いに立ってものを言い・思い・行っています。けれども
それだけではいつしか自分中心の生き方に陥ってしまいます。そこ
で、尊い仏さまのみ教えに自らの在り方を問い、聞き、保育者自身
もまた仏さまに願われ、その限りない光の中を生きるものの一人と
して日々かかわり合う子どもたちと共に、自らもまた育ち合うことが
できるように努めていきたいと願っています。 .
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